
悔しくたって、いい。それは感動を大切にしている証拠。
SUGOI学生インターンのめぐみです。
皆さんはどんなときに悔しいと感じますか?
勝負に負けたとき
やりたいことができなくなったとき
思い通りにいかない場面で、理想と現実のギャップに苦しみ、悔しいと思う人が多いでしょうか。
私はここ2,3年、悔しいと思う瞬間が少なくなりました。いや、悔しいと思わないようにしていると言った方が正しいでしょうか。元々負けず嫌いな性格なので、悔しいという感情を野放しにすると、自分を自分で苦しめると気付き、悔しさとある程度距離を取りながら生活するように心掛けています。
しかしつい最近、悔しいと近づいてみようと思う出来事がありました。
そういえば、悔しかった
以前、撮影についてこんな記事を書きました。記事では、「色んな主役がいる撮影現場に、自分なりの楽しさを見出せた」みたいなことを書いているのですが、昨日読み返した時に「今私が撮影で一番に感じるのはこれじゃないな」と考えるようになっていたのです。
思い返してみると、記事を書いた当時より、自分もつくる側の意識を持って撮影現場にいられるようになりました。自分と撮影という場の距離が縮まったとでも言うのでしょうか。
しかし自分と撮影が近づいたからこそ生まれたモヤモヤもあります。それが、一歩先が見えない悔しさです。
一歩先は闇の自分が、悔しい
例えば、「これやって!」と撮影中に声を掛けられた時。
”この人は何を求めているんだろう。何があったら嬉しいだろう”と自分が考えている最中に、相手が「やってほしい」を言葉にし、動いている。
”一歩先、読めなかった!悔しい!”
もちろん他人なんだから、百発百中で先読みができるわけがない。もっと色んな場面をみて、「この時はこう動いた方がいい」と経験を積み重ねるのが必要だよね、と許したい気持ちもある。
”でもやっぱり、悔しいが抜けないのはどうしてだろう”
普段”できる”にあまり執着しないようにしている自分が、ある意味無茶な理想と現実のギャップを悔しいと思えている。その理由を考えてみたら、当たり前すぎて忘れていた感動にたどり着きました。
たぶん私は、感動に憧れている
COOゆういちさんに、よくこんなことを言われます。
「ほんと、顔に出ないよね」
撮影、zoom、打ち合わせ、移動などSUGOIのメンバーと過ごす時はいつも、顔には出なくても結構コロコロと感情が揺れ動いています。
中でも、私がSUGOIで一番感じやすい感情は、感動。
後でこのゴミ捨てようと思っていたら、さっと差し出される手
寒いなぁと我慢していたら、そっと差し出されるホッカイロ
ちょっと疲れたなぁと考えていたら、こそっと差し出るお菓子
考えていることが頭上の吹き出しに表示されているかと疑うくらい、痒いところに手の届く気遣いをくれるメンバー。
”うわーすごい”
SUGOIのメンバーと一緒にいると、一歩先を想像したスマートな気遣いに感動することばかり。しかも、入ってから今までずっと。
「そんなの大人なら誰でもできるよ」と言われるかもしれないけれど、心地よく一歩先を読む想像力は、本当にすごい。少なくとも私にはまだまだできない。
でも私も、この感動を、優しさを、つくれるようになりたい。
一歩先を読まれた感動が忘れられなくて、その感動に届かない自分が悔しくなっているのかもしれません。
一歩先を読めるのが撮影の全てじゃないし、読まれたとしても感動する人ばかりでもない。でも、体験した感動を生み出せるようになりたい憧れは確かにある。
悔しさと憧れと、上手くお付き合いしていきたいと思ったお話。
以上、今週の「ど素人インターンがみたクリエイティブカンパニー」でした!