
クリエイティブは孤独から生まれない 僕らの学習帳 vol.007
もう何年になるだろうか。彼はずっとこんな生活を続けている。最低限の食事と最低限の生活を保障するための活動以外は、全て、文字通り全て、自身の作品に注ぎ込んでいる。
たった1つの情熱のために。世の中を変革する作品を作る、この情熱のために。
そう強く思って以来、友人との交流もたち、自室にこもるようになった。時には、食事も睡眠も忘れて、自分の作品に没頭する。俗世間のことには目もくれず、人付き合いにも興味もなく。
彼の頭の中には、ただ一つ。目の前の、作品。
世の中を変える作品のことだけ。
実際に彼の作品は、世の中を動かした。大きくそして美しく。
ただ、彼はその変化を見ることはできなかったが。
天才とは薄命である、とはなんとも皮肉なものである。
このようなクリエイター像に、なんらかのフィクション、もしくはドキュメンタリーで触れたこともあるひともいるのではないでしょうか。
そして、これが、今回のテーマ、「孤高のクリエイター」の迷信です。
(※上の文章は、完全に創作です。)
この孤高のクリエイター像を生み出した原因の一人が、エジソンです。
エジソンはかつて、電球を発明した時に、こう語りました。
ひとり研究室にこもって1万種類の素材を試した、と。
しかし、これは、エジソン含む研究開発チームのプロモーションやブランディングに利用されたもので、事実とは大きく異なるのです。
(この辺りは、ラジオやyoutubeで詳しく説明しています。)
このエジソンの逸話が、大きなインパクトを生み出し、クリエイターとは孤高であるなんてイメージが生まれていったんです。
エジソンの逸話が嘘であるどころか、この孤高のクリエイターの迷信を科学的に解き明かした研究が存在します。
孤高のクリエイター迷信が蔓延する「科学」の分野で、どれだけ共同作業が行われているのか。それを解き明かそうと、微生物学者の実験室のなかで、研究者たちがどのような活動をしているのか、観察したのでした。
そして、この観察の結果、判明したことがあります。
それは、科学者が、画期的な発想やひらめきを得る瞬間、つまり、クリエイティブを発揮する瞬間は、孤独に研究室にこもっている時ではありませんでした。
それは、会議の席上だったのです。
会議室で、他の科学者たちと自分のプロジェクトだけでなく、その他のプロジェクトについても会話している中で、また、失敗談や経験談も含めて聞いていく中で、新しい解決策や打開策などが生まれていったのでした。
ちなみに、当の本人たちに、いつこのような画期的な発想が生まれたのかを聞いてみたら、ほとんどの人が、会議の席上とは言わず、自分なりのストーリーを作話していくのでした。
このように、孤高のクリエイターの迷信は、クリエイターたちも信じたい迷信なのかもしれません。画期的なクリエイティブは、自分の力で、才能で、可能性によって生まれたものだと。
しかし、実際には、多様な人と会話をし、関係のないようなことを経験していく中で生まれているのが実際のところです。
孤高の迷信を信じて、自分からチームを離れてしまう前に、多様な人との関わりの中で生まれるものこそが、クリエイティブなものだということに、目を向けてみてはいかがでしょうか。
今回の僕らの学習帳は、「どうしてあの人はクリエイティブなのか?」の第7章「孤高のクリエイター」の迷信から、お話ししました。
今回の話について、もっと詳しいことを知りたい人は、動画・音声をぜひご覧ください。
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