
自分たちの強みが弱みにかわるとき 僕らの学習帳 vol.033
強みが弱みに変わるときとはどんな時なのか。つまり、どんな強みがあったのか、そしてなぜ弱みに変わってしまったのか。この2つを中心に進めていきたいと思います。
今回の主役はアメリカ、ニューヨークで誕生した最高級ピアノメーカーのスタインウェイです。
1853年設立時の理念は、「可能な限り最高のピアノをつくる」、ことでした。そして、それを実現するのは、熟練された職人の手である。いまでもオートメーションに頼る部分は最小限にして、手づくりによって生まれる独特な響きを大切にしている。
もちろん、この職人を育て上げることにかけても時間をかけている。少なくとも1年から3年の見習い期間を過ごさないと一人前とは見なされないのである。
それだけの時間と労力をかけて作られたピアノは、多くのピアニストに愛され、「スタインウェイはスタインウェイであり、世界にこれほどのものは他にない。」とまで言われるほどです。
これが、スタインウェイの強みです。最高級のピアノを職人の技術で作り続ける。それが、気づけば弱みと変わってしまったのですが、どのようにして変わっていったのか。
それは、ヤマハの台頭が原因でした。
ちなみに、スタインウェイの販売台数のピークは、6000台を越えていました。この数字は、1台の製作に2年かけることを考えるとものすごい数字になるのですが、最近では2000台ほどしかありません。
この急落を引き起こしたのがヤマハでした。
後発企業であるヤマハがとった戦略はとてもシンプルでした。スタインウェイのピアノを買っては分解し、その手法を徹底的に模倣したのです。
そして、それを職人に作らせていたら、逆転劇は起こらなかったもしれません。ヤマハはそのプロセスを可能な限り自動化したのです。
徹底的なスタインウェイのピアノを研究し、それを新しい技術で置き換えるという努力の結果、販売台数だけでなく、ピアノの質でも、ヤマハのピアノは世界最大となっていったのです。
それを象徴する出来事が、20世紀を代表するピアニストの一人であるアンドレ・ワッツによる、カーネギーホールでのコンサートでした。
もともと、スタインウェイ・アーティストの一人として活動していたワッツが、そのコンサートで演奏していたピアノには、「YAMAHA」のロゴがあったのです。
しかも、このコンサートは全米で放映されており、ワッツの手元と「YAMAHA」のロゴが映し出された瞬間は、多くの人に衝撃を与えたそうです。
このようにして、スタインウェイは自ら築き上げた競争優位性を、後発のヤマハに追い越されてしまいました。もちろん、色々と対策をとっていたに違いないのですが、それでも1つだけ変えることができなかった。
それは、自分たちの競争優位性である、職人技術を捨てることができなかったのです。
自分の強みが、弱みとなっていっていることに気づくことができなかった。さらに言えば、この強みをどう活かすことを中心に考えていたために、スタインウェイの持っているより大きな可能性に気づくことができなかったのです。
自分の強み、競争優位性、コア・コンピタンス、得意分野、なんと呼んだとしても、これらは気づけば自分の弱みに変わる可能性があるということなのです。
今回の僕らの学習帳は、「LEAP ディスラプションを味方につける絶対王者の5原則」の第1章「『日米ピアノ戦争』の教訓」から、お話ししました。
今回の話について、もっと詳しいことを知りたい人は、動画・音声をぜひ聞いてください。
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