
謙遜なんてしなくていいんだよ?って自分に言えるようになりたい。
こんばんは、SUGOIのCOOのゆういちです。
今年も残り少なくなってきたので、自分のやったこと、やっていないこと、できること、できなかったこと、を棚卸ししながら、今年を振り返っています。
そんな中で、自分の癖で気になるところがあります。それに気づかせてくれたのは、インターンの恵美でした。インターンというポジションを活かして、毎週note記事を書いてくれています。「ど素人インターン」として、SUGOIで働くことを彼女なりの視点で、鮮やかに書いてくれています。
その文章を書くたびに、私は彼女にこう伝えていました。
「この文章はとてもいい文章だよ。本当に、自分ではこんなの書けないから。」
そんなことを良く伝えています。これは本当に心から思っていることです。彼女の文章は彼女なりの考えや人生経験があって、悩み、苦しみ、葛藤、モヤモヤを素直に吐き出しています。
この素直な吐き出し方、それは彼女にしか書けない文章です。だからこそ、彼女が毎週書き続けることは、SUGOIにとっても彼女にとっても、とても大きな意味をもつと強く感じています。
その一方で、自分の言動を振り返ったときに、「自分には書けない」と伝えることは必要なのだろうか、とモヤモヤしています。
そして、この「自分には書けない」の他にも、私はよく「大したことないよ」「そうでもないよ」「〇〇の方が良くできているよ」と、謙遜をします。
謙遜のつもりもないくらい自然にこのような言葉を発します。本心から出ている言葉です。
私は自分に自信がありません。たとえば、文章を書くのを特段うまいとは思っていません。(速いとは思っています。)自分の文章は、特に誰かの胸を打つわけでもなく、笑いを巻き起こすわけでもなく、涙を誘うわけでもない。とてもノーマルな文章だと思っています。
昔は、自分ほど文章がうまい人間はいない、自分ほど素晴らしい書き手はいないくらいのことを、恥ずかしながら思っていました。恥ずかしいです。
でも、今では、ちゃんと、自分の能力を客観視できるくらいには大人になったものです。
そう、大人になったと思っていました。冷静に自分の能力を判断し、それを分析できている「大人」に。誰にも頼まれていないのに。
自分の中だけでまだ足りていないところを把握して、それに向けて努力することは必要です。でも、それを後輩や部下に伝える必要はありません。彼らに謙遜する必要はありません。
それをわかっていませんでした。このことの方が恥ずかしいですね。
今、インターンの恵美は毎週時間をかけて頭を悩ませて、文章を捻り出しています。そんな彼女に、本当の意味で敬意を払っているのであれば、ぶっちぎって上げないとダメです。
それは、技術を見せつけることでも、ビュー数を稼ぐことでもなく、マインドでぶっちぎること。
書いているのが楽しい、もっといろんなものを書ける、そして書くことでひらけるものがある。そんな世界を見せてあげなければいけない。
そのためには、謙遜している暇なんてないです。自分ができることをちゃんと見せて、それを伝えて、そしてそれを使って前に向かって進んでいく。それだけしかないはずです。
謙遜したって誰も喜ばない。逆に苦しむだけ。本当にやるべきは、謙遜でも傲慢でもない。ただひたすらに自分を磨き続けること、前に進み続けること。その進み方を伝えること。
これを一生懸命やっているなら、謙遜なんてしている暇ないはずだよ?そう自分に言い聞かせながら、来年は進んでいこうと思います。