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素人だからなんて言い訳は忘れて、撮りたい理由を見つけにいこう。

写真を撮るって、緊張しませんか?

私はすごく緊張します。緊張というか、恐怖に近いかもしれません。

「写真を撮る時、苦しいんですよね。昨日もしんどかった…」


ちょうどこれから撮影だというのに、SUGOIのCOOゆういちさんにこんな弱音を吐いたこともあります。この異変は見破られていると思っていたので。にも関わらず、

「え、昨日も?」

と返されて、カメラ越しの感情が意外にも周りへ伝わらない事実が少し孤独でもありました。


そんなこんなで、写真への恐怖に打ち勝てていないSUGOI学生インターンのめぐみです。こんにちは。

写真への恐怖を言い換えると、「この撮り方、合ってる??」です。
ここでは、構図や角度、明るさや対象物の大きさ=撮り方と表現させてください。

例えば、この3枚を見比べてみましょう。

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写っているのは同じ対象物でも、だいぶ印象が違うはずです。

1枚目:植物の陰から覗き見をしている
2枚目:近くで説明をしてくれている
3枚目:自分以外の誰かに向かって何かを言っている

ざっとこんな感じ方になるでしょうか。

■話している人の顔が見えるか
■人とカメラがどれだけ近くor遠くにあるか

などの違いで、写っている人の親しみやすさも変わってくる気がします。


ではこの3枚はどうでしょうか?

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1枚目〜3枚目にかけて、だんだん彼女の手で起きていることや彼女を囲む人の様子が具体的に想像しやすくなると思います。

個人的な好みとしては1枚目のミステリアスな感じが好きですが、人によっては2・3枚目のような直接その場のストーリーをイメージしやすい写真が好きな方もいるかもしれません。


このように、たった10秒ほどの瞬間でも、切り取り方によって全く違った写真が出来上がるんです。面白いですね。

実は、今までの写真はどれも冒頭に出てきた『写真苦しい!状態』の私が撮ったものです。でも、撮っている最中はこんな意図を考える余裕はなかった。

見返して初めて、特に深く考えていない似た構図の写真が大量にあると気付いたことが、撮影当時の余裕のなさを物語っています。

なぜ視聴者なら楽しめて、つくり手だと楽しめないのか

「こうやってnoteでじっくり見ているから、写真に愛着が湧いて楽しめるんじゃないの?」

もしかしたら、今までの文章を読んでこんな風に思われるかもしれません。

でも以前、SUGOIのパートナーでありカメラマンのカルンさんが同じような場面で撮った写真は楽しめたんです。というか、楽しむを超えて見れば見るほど感動していました。

感動した理由は、すごくキラキラしていたから。

写っている人や切り取られた場面がとても生き生きと輝いて見えたんです。その場の空気や話している内容が写真を越えて感じ、聞こえるようでした。

「写真って、すごい」

写真に心を打たれたのは、もしかしたらこの時が初めてだったかもしれません。

ただ、自分がいざ撮る側になったときは、そんな風に写真を越えて伝えたいことを考える余裕は1mmもない。撮った写真も全然キラキラに見えない。そして何より悲しいのは、温かくかけがえのない時間だった当時のことを写真に映し出せなかったこと。

「こんなはずじゃなかったのに」

自分が撮ったデータを見れば見るほど、敗北感とその場を一緒に過ごした人たちへの申し訳なさが募るばかりでした。ただ一方、悲しんでばかりでは前に進まないことも分かっています。

「何が違うんだろう?」

このnoteを書き、写真を見返し、浮かんできた答えはこれでした。

「あれ?このとき私の心、動いてた?」

さっきの3枚を思い出して欲しいのですが、これらのメッセージってあくまで後付けなんです。3枚を並べて、比較して見えたものにすぎない。

だから、3枚を同時に見ると面白いと感じるけれど、1枚だと魅せたいことがいまいちぼんやりしている。写真のアイデンティティ、パワーが足りないんです。

「数打ちゃあたれ!」と考えて、とにかく色んなパターンを撮りまくるやり方は仕方がないでしょう。渾身の一瞬を上手く映し出すには、圧倒的に足りないものが多すぎる。すぐにできるようになることじゃない。

とはいえ、自分の中の「今、この瞬間を撮りたい!」というカメラを向ける動機は大切にすべきだと思うのです。

写真は、記録と作品という2つの目的で分けることがあるそうです。

ただ、言い訳がましくはありますが、この2つを明確にスイッチさせるのは難しそう。少なくとも、私はまだ記録と作品という目的を意識して撮る余裕も技術もない。

だけど、「今を撮りたい!」という心意気は最低限持てる気がするのです。というか、それを持ってカメラを覗きたい。願望に近い気持ちです。

せめて、自分で見返して「あぁ、この時は〇〇を撮りたかったんだ。素敵だよね!」と言葉にできるようになること。もちろん経験も知識も蓄積していかないといけないけれど、当分は写真を撮りたい理由を言葉にできる状態をカメラを持つときの目標にしたいと思います。

素直に写真を撮ることを楽しみたい

写真を撮るって本来、楽しい行為だと思うんです。カメラを構えている人にしか見れない景色を独り占めできる訳ですから。

でも、そんなわくわくしたがネガティブな気持ちに押し潰されてしまうって、なんだかもったいない気がする。

私が思い通りに写真を撮れず素直に悔しがれる理由は、このもったいなさを感じているからかもしれません。決して、高く評価されたり、褒められるような上手な写真を撮りたい訳じゃない。ただ、写真というクリエイティブを楽しみたいだけなんです。

そしてもしかしたら、楽しめるようになった先に、また別の目標が見えてくるかもしれない期待もあります。だから今は欲張らず、「撮りたい!」という直感に耳をすましてあげたい

次にカメラを構えるときは、写真を撮る怖さを分かってもらえない孤独感より、直感を楽しむ努力をしてみようと思います。

以上、「ど素人インターンがみたクリエイティブカンパニー」でした!

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