弱虫で遠慮ばかりのインターンがパンツを脱ぎ捨てて、本当の仲間になりたいと思った日
見出し画像

弱虫で遠慮ばかりのインターンがパンツを脱ぎ捨てて、本当の仲間になりたいと思った日

「パンツを脱いでください」

ずっと前、ワークショップデザインの勉強会でこう言われ、ギョッとしたことがある。登壇者は迷わずこう話を続けた。

「あ、もちろん、本物のパンツではないですよ。パンツを脱ぐように自分をさらけ出してください、ということです」

パンツの話の発端は、参加者からのこんな質問だった。

「ワークショップをやったとき、どうしても参加者同士の議論が薄っぺらい内容になるんです。たぶんお互いに壁をつくって、本音で話せていないからだと思うのですが。どうしたら、その壁を破ることができるでしょうか」

これに対する返しがパンツを脱げだなんて、(教えてくださった方には申し訳ないが)ちょっと馬鹿馬鹿しいと思いつつ、なんとなく理解できる気もしていた。

参加者が自らの体験を引っ張り出してその人自身の飾らない言葉で議論ができるよう、まずはワークショップを進行する人が自分をさらけ出せ。
失敗したとか、恥ずかしかったとか、苦しかったとか、そういう弱い感情や体験を散りばめて会を進めていくといい。

登壇者の話を聞いて浮かんだそんな景色はいつしか私の中で、会社のような組織でもつくりたい景色にもなっていた。

できる姿より弱々しい姿をさらけ出す。
自分で進めようとするより周りに寄っかかる。

こうやって、できるだけ自らパンツを脱いで仕事が上手くいく時もあった。ただ同時に分かってきたことがある。それは、素の私はパンツを履いて身を守ろうとする性質を持っていることだ。意識して回避しても、油断するとひょっこり顔を出してくるのがこの性質の面倒なところでもある。

そんなパンツを履きたがる自分がちょっと憎らしくて、ずっとどうにかしたいなと思い続けているのがここ数年の私。


こんにちは。まだSUGOIでパンツが脱げていない学生インターンのめぐみです。

この記事を読んでいる人の中で、会社や部活など何かしらの組織において自分を裏表なく出せている人はどれくらいいるでしょうか?

先日、SUGOI代表の陽児さんがnoteに書いているように、世の中には裏表が生まれる組織が多いかもしれません。

ただ、SUGOIではみんなが普通にパンツを脱ぎ、裏表のないフラットな状態で仕事をする。それは作業でも議論でも雑談でも。同時に、このフラットな状態は中途半端な自己開示では成り立たない、絶妙なバランスによって生まれるものということも分かってきたのです。そのことに気付いたのは、何気ないディスカッションの場においてでした。

CEOとCOOも混じり合わないことがある

それにしても驚きました。
2人が行きたい方向がこんなにも交じり合わないなんて。

それはSUGOIの読書会「本で遊ぶじかん」に”2”をつけるかどうかの話し合いの時でした。いつもはそれぞれの決断を肯定し、補うように進むCEOとCOOの会話が今日に限ってどうにも交差しない。普段から2人のやり取りを聞いている私からすると、それはとても奇妙な光景でした。

「新たなフェーズに進むんだという自分たちの決意とネタの要素として、”2”をつけるべきだと思うよ」と話す陽児さんに対して、「まだ知らない人に届ける、まだまだ知名度の低い『本で遊ぶじかん』というイベントを広めるためにも、同じ名前でやっていきたい」と唸り続けるゆういちさん。


そんないつもとは違う2人の関係性に、私はただ迷っていました。ただじっと空気になっている、パンツを脱ぐどころか人間にさえなっていない自分に何度も失望しかけました。どうその場で立ち振る舞えばいいのか分からない状態が悔しくて悲しくて、じっと様子を伺うことしかできませんでした。

「この空気はどうすればいいんだろう」

2人の背中を眺めながら、どちらの道を選ぶのが確からしいんだろうと考えていた時、パッと私の方を振り返ったのは陽児さんでした。

「裏表なしで、意見を聞かせて」

不穏に進み続けるCEOとCOOを見つめるもものさんと私に、陽児さんはこう言ったのです。

「本で遊ぶじかんの名前について、裏表なしで意見を聞かせて」

私は心に問いかけました。

”本当はどう思っている?”

空気なりに考えた答えとして、「初めは名前を変えなくてもいいと思っていたけれど、『本で遊ぶじかん』を育てる意味を込めて”2”にするのもいいと思います」と言ってみたり、もものさんの意見を聞いて考え直してみたりもしました。

でも問えば問うほど、心から溢れ出しそうだったのは『弱虫』という言葉。

”自分がどう思っているのか、曖昧な答えしか出せない私って弱虫だな”

陽児さん、ゆういちさんどちらの味方にも敵にもなるわけじゃないけど、その場の空気を読む必要なんてないけど、私が私でいることがこわかった。私の意見を持つことができなかった。

”ちゃんとパンツを履いて自分を守るなんて、ダサいな”

パンツを脱いで考えをさらけ出す自分以外の3人を見て、ただ虚しくなるばかりでした。

なぜ私は私を守ろうとするのだろう?

それは、対立できないと分かっているからだと思います。

だから私は言葉が持てない。言葉が弱い。あなたと違うことを思っていると伝え、分かり合えないことから繋がっていくための言葉を伝えることができない。

でも、ただ鋭い言葉を並べればいいかと言われると、そうじゃない気もする。私もあなたも置いてきぼりにしない。そうやって言葉を並べることが、パンツを脱いだ理想的な姿として浮かんできます。

いつも周りに確からしい道を選んでくれる人がいるから、自らが道を選ぶ責任を遠ざけている感覚はある。現に今まで、喉まで出た「これはどうですか?」を飲み込んで、後々言っておけば良かったと後悔したことが何度もある。

つまり、対立がこわいのです。

もし自分の提案に反対されたら?
どうしてそう思うのと聞かれたら?

対立≒自分の立場を説明する責任が生まれる意味を持つけれど、私はその責任を果たせる自信がない。言葉を出せる自信がない。だから事前に対立しない立ち回りを優先した結果、やっぱり言えば良かったと後悔する。

なんて情けないのだろう。決して対立はした方がいいとか、自分の存在意義を対立によって持ちたいと言いたい訳ではない。チームの行き先を意見する勇気が湧いてこないだけなのです。

こう言うと「優しいんだね」などと言う人がいるかもしれません。いや、全然いいことではありません。自分を守る段階からまだ抜け出せない、つまり対等に道を選ぶ仲間になりきれていないのです。それは本気で道を選ぼうとする相手に、とても失礼なことだと思います。

だから私は、然るべき時にちゃんと対立できるようになりたい。パンツを脱いで、平らな場所で話し合えるようになりたい。それが仲間になることだと思うから。忖度と謙遜に羽交い締めされる人生は嫌だから。

恐らくこれから訪れるどんな話し合いの時にも、陽児さんは「裏表なくね」という言葉を添えて、フラットな場をつくろうとしてくれると思います。

ただ、この陽児さんの優しさに甘えてはいけない。本当に裏表のない関係で繋がり続けるためには、自分自身で滑らかな関係をつくり始める勇気を持たねばならない。そう思います。

どうしたら、私は心からパンツを脱ぐことができるのだろう。心をさらけ出すことができるんだろう。そのやり方はまだ模索中です。

だけど、決して焦らず私とあなたの声を近づけていけば、その未来が見えてくるはず。そう信じて、明日は今日より少しだけ、周りに体重を預けてみようと思います。


以上、今週の「ど素人インターンがみたクリエイティブカンパニー」でした!


▼文中に出てきた「本で遊ぶじかん」の話し合いの結末とゆういちさん視点の感じ方はこちらのnoteにて。読み比べると、全く違った心境で同じ時間を過ごしていたことが分かってとても面白いです!


この記事が参加している募集

私の仕事

このnoteを書いたSUGOIって、どんな会社?

ありがとうございます!「本で遊ぶじかん」に遊びに来ませんか?
「つくりもの」をつくらない、つくる会社 | メンバー全員がクリエイター | 企画立案から実制作まで、「愛とアイデア」をもって行います | 映像、グラフィック、ウェブ、ブランド、プロジェクションマッピング、ホログラム、etc | note毎日更新しています、フォローお願いします!