
「わかりやすい」と「わかりにくい」の価値を逆転させた読書会【12月の本で遊ぶじかん】
何を言っているのかわからない。何を考えているのかわからない。意味がわからない。
誰しもが一度や二度は言われたことがあると思います。そして、これらのわからないは悪い意味で使われます。
つまり、もう少し人にわかるように言いなさい、表現しなさい、と。
この当たり前の価値観、わかりやすい=善・わかりにくい=悪に疑問を投げかけてみたのが、今回の「本で遊ぶじかん」でした。
この本はフリーライターの武田砂鉄さんが書いた本で、わかりやすいとわかりにくいの間にある様々な事例を取り上げて、そこに疑問を投げかけていくものです。
たとえば、池上さんのテレビ番組の分かりやすさ、エンタの神様のテロップの分かりやすさ、ワイドショーで繰り返される2択の質問の分かりやすさ、などなど。
普段は当たり前に受け止めているわかりやすさに立ち止まって考え直す良い時間となりました。
(どうまとめたらいいのか、悩んでいます)
とくに今回ディスカッションの時に話題になったのが、なぜこれほどまでに「わかりやすい」が重宝されるようになったのか?でした。
そこにはいろいろな要素が絡み合っているとは思いますが、その中で1つあがったのが、「忙しい」と「正解主義」の組み合わせでした。
(ディスカッションにワクワクしています)
私たちは日々の生活の忙しさに追われています。そして、追われれば追われるほど間違えたくないと思います。
忙しい中で読む本は、「正解」の本であって欲しいですし、忙しい中で買う家電は、「正解」の家電であって欲しいですし、忙しい中で見る映画は、「正解」の映画であって欲しいです。
そして、この「正解」を見つけるのに時間をかけてられないので、ぱっと見てわかるものが好まれるようになったのではないでしょうか。
(万引き家族のあるシーンについて解説中です)
言い換えるならば、私たちはいつしか「わからない」を考えたり、耐えたりすることを諦めました。そして、与えられる「わかりやすい」を受け取ることに慣れてしまったようです。
私たちには、わかりやすいにどっぷり浸かるのをやめて、わかりにくいに飛び込んでみる時間が必要なのです。なぜなら、そもそもこの世界は、こんなにもわかりやすいものではなくて、複雑で混沌としたものだからです。そして、だからこそ面白いんです。
今回の本で遊ぶじかんは、「わかりやすい」と「わかりにくい」の価値を逆転させようと、みんなで試行錯誤する時間でした。面白そう!と思ってくれた人は、ぜひ来月の「本で遊ぶじかん」にぜひ遊びに来てください!
次回の遊びの時間は、こちらのpeatixからお申し込みいただけます。