
みじめな学校生活が「バンクシー」を生んだ 僕らの学習帳 vol.125
バンクシーといえば、路上でのグラフィティ活動や、ストリートのアート作品が有名なアーティストです。
この路上でのアート活動、またグラフィティという文化から、バンクシーというのは労働者階級出身や、貧困な家庭で育ったかのようなイメージを持っているかもしれません。
が、実際は全く違います。バンクシーは労働者階級の出身ではありません。それどころかむしろ、品の良い(気取った)学校に通っていたほどなのです。
彼が通っていたのは、ブリストル・カテドラル・スクール(ブリストル大聖堂学校)だということがわかっています。さらに、彼が育ったのは街の中心から少し外れた緑豊かな郊外だということも。
このとおり、バンクシーは貧困に苦しみ、労働者階級が受けている不平等に怒りを募らせ、グラフィティという犯罪行為・破壊行為に衝動的に走ったというわけではないようです。このよくあるストーリーには、当てはまらないのです。
バンクシーが品の良い地区から、ストリートへと飛び込んで行ったのは、貧困や不平等とはまた別の抑圧があったからでした。
バンクシーは、クラスメイトを大怪我させたことをきっかけに学校を退学させられたのです。この退学のせいで、品の良い地域に嫌気がさしたのだろうと考えられるのですが、何よりも問題だったのは、この大怪我にバンクシーは少しも関わっていなかったのです。
この大怪我をさせたのは、バンクシーの友人で、彼も彼の周りにいたクラスメイトも、口裏を合わせてバンクシーに罪をなすりつけてしまったのです。
それだけではありません。バンクシーは必死になって、母親に自分がやったんじゃないと訴えるのですが、自分がやったことを認める勇気を持ちなさいと説教されてしまったのです。
この経験を振り返って、バンクシーは「正義というものは存在しない」そう感じたのです。
この事件に象徴されるように、品の良い学校・地域・家庭では、バンクシーはうまく立ち振る舞うことができなかったようで、そこから逃げるようにして、バートン・ヒルという地区にたどり着いたのでした。
当時すでに、その辺りでは有名なグラフィティの中心地となっていた場所でした。そこで、スプレー缶を手にしたバンクシーは、自分の声に出会ったのです。
今回の僕らの学習帳は、「バンクシー 壁に隠れた男の正体」の第2章「かつてブリストルで」から、お話ししました。