モヤモヤが病みつきになる読書会やってます
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モヤモヤが病みつきになる読書会やってます

「なんか、モヤモヤしますね」

読書会の最後に参加者の1人がふとこんな感想を口にされました。そして、その感覚は参加者全員が、まさに感じていたことでもありました。

「モヤモヤしますね」という感想は、一般的な読書会ではイベントの失敗を意味するかもしれませんが、私たちの読書会「本で遊ぶじかん2」では最高の褒め言葉でもあります。

なぜなら、そのモヤモヤは参加者が今まで考えたことのなかった考え方や問いにぶつかったことを表すからです。

では、私たちがどんなモヤモヤを共有していたのかというお話をする前に、なぜ、この新しい考え方に触れることを「本で遊ぶじかん2」の目的としているのかを簡単にお話しさせてください。

1人で本を読んだとき、私たちはなんとなく理解します。筆者の意見を大まかに理解し、その考え方を受け取り、共感することが多いです。しかし、「本で遊ぶじかん2」のように、みんなで本を読んだとき、その本から読み取れる内容は何倍にも膨らんでいきます。

私が読んだ感想と、あの人が読んだ感想が全く違うものだったら、改めて私たちは考えます。なぜ自分は、あの人のようには感じなかったのだろう、と。

そうすると、自分の考え方を改めて考えるきっかけとなり、さらに、わかったつもりだった本が違う意味を持ちます。

つまり、いろんな人と一緒に本を読み、議論をすることで、わかったつもりだった本をより立体的に感じることができ、さらに、自分自身についても新たな考え方を見つけることができるのです。

その点から考えても、今回の本は特に改めて考え直すきっかけになる一冊だったと思います。それが、「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」という本です。

東南アジアのボルネオ島に住んでいる「プナン」という民族と一緒に暮らして、フィールドワークを行なってきた人類学者の奥野克己さんが、プナンの人たちと自分たちについて比較しながら、改めて自分たちについて考えた一冊です。

たとえば、子育てでは養父母と実父母との境目があまりなく一緒に子育てをする様子であったり、家族が死んだ時には遺族が名前を変更するという慣習であったり(日本の戒名と逆の考え方です)、反省というものの言葉や概念が存在しなかったり。

いろいろな点で日本と大きく違う、つまり、自分が当たり前にやっていることを疑うことができるようになります。ただ、疑うにしても、守るにしても、その先どういう行動をするのか、なぜするのかを改めて考える必要があります。

そこに正解はありません。それぞれが考える暫定的な答えがあり、その答えもどんどんと変化していきます。それが、モヤモヤの正体でもあったのです。

自分はこう思うけれど、それが正しいわけではないから考え続けよう。今まで持っていた答えというものは、実は疑うことができるのかもしれない。そんな考えで、参加者の頭の中はいっぱいになっていたはずです。

このモヤモヤ、一度体験してもらうと病みつきになります。簡単ではないし、安易にスッキリはできないですが、その分思考が深まっていく感覚が、きっとクセになります。

そんな癖になる読書会「本で遊ぶじかん2」の参加については、こちらのリンクからどうぞ。モヤモヤが癖になる読書会に、ぜひ一度遊びに来てください。



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