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田中角栄が日本に残したもの 僕らの学習帳 vol.129

田中角栄といえば、よく言われるのが人身掌握術。「人たらし」とも言われる彼のすごさを凝縮したのが、1962年の大蔵大臣の就任のあいさつでした。

大蔵官僚を前にして行った挨拶の最後は次のようなものでした。
「できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!」

自由にやっていい、どんどん提案しにきていい、上司の顔色もうかがわなくていい。責任は全部とる。そう言ってくれるトップの登場に大蔵官僚たちは、心酔したと言われています。

これほどの度量と大胆さを持っていたところが、田中角栄の魅力の1つでした。

この大胆さと同時に、並外れた数字の記憶力も持ち合わせていて、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれました。


そんなブルドーザーは、全国に新幹線を走らせ、四国と本州を橋で結ぶなど、「日本列島の改造」を推し進めていきます。その背景には、新潟県出身の彼なりの、地方への思いがあったようです。

このような積極的な政策を推し進めていった彼を辞職に追い込んだのは、女性問題であり、お金の問題でした。愛人の話が週刊誌で報道されたり、ペーパーカンパニーを使った土地の買い占めなどが次々と暴露されていきます。

その後、オイルショックによる深刻なインフレも重なり、戦後最年少(当時)で総理大臣に就任してからわずか2年程度で辞任となってしまいました。

そうは言っても、彼がこの2年間で残したものは日本を大きく変えました。そしてそれには裏表があります。

たとえば、全国の整備新幹線や本州四国連絡橋は、地方の人たちにとって大切な交通手段となりました。その一方で、東京や大阪など大都市への移動が簡単になりすぎてしまいました。

その結果、若者がいなくなり、過疎化が進んでしまった地方もたくさんあります。便利になればなるほど都市に人が集まってしまうとまでは、田中角栄も予見できなかったようです。

彼が残したものとは、一体何なのか考えてみるのも面白いかもしれません。


今回の僕らの学習帳は、「日本の戦後を知るための12人」の第1回「田中角栄 今、見直される理由」から、お話ししました。


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