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僕らは誰もがアーティストだ 僕らの学習帳 vol.109

これまで見てきたように、「アート」という特別な境界線は、アンディ・ウォーホルの作品によってなくなってしまいました。この状況を端的に表現した有名な言葉がこちらです。

ーこれがアートとだというようなものは、ほんとうは存在しない
エルンスト・ゴンブリッチ(歴史家・美術史家)

つまり、アートというカテゴリーは存在しないので、アートかどうかという区別も意味がないということです。

もし本当にアートが存在しないのであれば、アート思考というものも存在しないことになってしまいます。


ここで、アート思考というものはどういうものだったかもう一度考えてみましょう。アート思考とは、興味のタネから、探求の根を伸ばすことでした。そのあと、表現の花がどんな姿になっているのか、そもそも花が咲くかどうかは二の次でした。

大切なことは、探求の根を伸ばしているか、です。逆にこの探求の根を伸ばさずに「表現の花」ばかり咲かす人たちのことを、花職人と呼んでいました。

つまり、ここでいうアートが存在しないということは、この花の部分ばかりを気にするようなものアートではない、ということです。それは花職人の仕事だからです。

僕らが考えるべきはその根の深さであり、出発点となったタネです。これらは人から見えないこともありますし、表現の花として生まれない可能性もあります。

この生まれなかった作品、根だけが伸びている状態も含めてアートだと考えるならば、アートは見える状態では存在しない、「ただアーティストたちがいるだけだ」ということになります。


ここでいうアーティストとは、絵描きとか彫刻家とかメディア制作者とかそういう存在ではありません。絵を描けなくても、彫刻を作れなくても、なにも作れなくても、アーティストであることはできます。

アーティストとは、興味のタネから探求の根を伸ばす存在だからです。

どんな花を残したかどうかの問題ではありません。探求の根を伸ばし続けているかどうか、それがアーティストという存在です。


つまり、アートが存在しないというのは、表現の花がなくても探求の根という形でアートが存在できるという意味でもあります。ただ、その探求の根は他人からは見えないので、見えるのはアーティストだけだ、ということです。

僕らもれっきとしたアーティストになれるのです。手先の器用さや美術の知識など関係なく。自分の中にある問いに対して、探求の根を伸ばし続けることができれば、さらに「自分なりの答え」を見つけることができれば。アーティストとはそういう存在です。



今回の僕らの学習帳は、「13歳からのアート思考」のEPILOGUE「「愛すること」がある人のアート思考」から、お話ししました。

今回の話について、もっと詳しいことを知りたい人は、動画・音声をぜひ聞いてください。

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