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不条理すぎる「聖なる鹿殺し」 僕らの学習帳 vol.122

人生は不条理だ、世の中は不公平だ、とはよく言われますが、それを究極にまで押し進めたところに、この「聖なる鹿殺し」と言う映画は存在します。

この映画には二つの対照的な家族が登場します。片方は、父親が心臓外科医で、母親が眼科医、女の子と男の子の4人家族で、裕福な地区に住んでいます。もう一方の家族は、少し辺鄙なところに住んでいて、男の子と母親の二人暮らしで父親はいません。

なぜ父親がいないのか。それは、裕福な家族の心臓外科医の手術中のミスが原因でした。スティーブンという名前の心臓外科医が、手術中にミスをしてしまい、患者を殺してしまったのです。

そのことに対する良心の呵責から、スティーブンは、患者の息子であるマーティンに、食事を御馳走したり、時計をプレゼントしたりしています。


このスティーブンとマーティンの関係がきっかけとなり、スティーブンの家族に説明のつかない不幸が起こり始めます。

まず、スティーブンの息子の両足が動かなくなります。その原因は、最新の医療をもってしても改名できません。さらに、息子は食事もとらなくなってしまいます。その次は、娘の両足が動かなくなります。

そんなときに、マーティンが現れ、状況を解説します。

スティーブンが、マーティンの父親を殺したかわりに、スティーブンは自分の家族のうち一人を殺さなければいけない。そうしなければ、両足が麻痺し、食事をとらなくなり、目から血が出て、死ぬ。それもスティーブン以外の家族全員。と宣言されます。

そこには、トリックも理由も、真っ当な原因もありません。ただ、それが起こるだけです。


この気味の悪い、不条理で理不尽な映画にはどのような動機があるのか。ただ、観客を怖がらせて、気持ちの悪い思いをさせたいだけなのか、というとそういうわけではありません。

この映画は監督自身の生い立ちや家族観を反映させたもののように考えられます。

監督の父親は、世界大会に何度も出場したバスケットボールのギリシャ代表選手でした。そして、父親は息子に、自分のようなバスケットボール選手になって欲しかったと語っているようです。

しかし、内向的で体も大きくなかった監督は、父親の期待に応えることができませんでした。

それだけではありません。監督の両親は離婚したあとに、母親に育てられました。しかし監督が17歳の時に、母親は病気でなくなってしまいます。それでも、引き取り手のいなくなった監督を、父親は育てようとすらしませんでした。

父親を求めながらも、自分の性格ゆえに見放され、両親の離婚という理不尽に巻き込まれ、家族から拒絶されてしまった。

そのいわれもない理不尽な経験をタネとして生まれたのが、この映画だったのかもしれません。


今回の僕らの学習帳は、「映画には「動機」がある」の第7章「なぜスパゲティを汚らしく食べるのか?」から、お話ししました。


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