名付けられる死者と呼ばれない死者 僕らの学習帳 vol.158
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名付けられる死者と呼ばれない死者 僕らの学習帳 vol.158

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私たちは、2度名前を与えられます。1度目は生まれた時、2度目は亡くなった時。

この亡くなった時の名前を戒名といいますが、なぜ私たちは死者に名前を与えるのでしょうか。死んだ後も、大切な人は大切な人のままですし、名前を変える必要などないような気もします。

そもそも、この戒名というものは、仏教の世界に入った時にお師匠さんからお弟子さんに与えられる名前のことだそうです。この文化が変化していって、今では亡くなったときに仏門に入り、戒名を与えられるというものになったようです。

そう考えてみると、この名前というものは、どちらも新しいスタートの時に与えられるもののようです。

つまり、生まれた時に現世・俗世での旅路のスタートに俗名が与えられ、命を失った時、もしくは仏門に入った時に、戒名という宗教上の名前が与えられるというものです。

ちなみに、この死者に名前を与えるという文化は、祖先として崇拝の対象としてはっきりと形作るという意味合いもあるようです。

日本ではこのように、死者に名前をつけ直すことが一般的ですが、これがどの世界にも通用するものというわけではありません。

たとえば、東南アジアのボルネオ島に住んでいる狩猟採集民の「プナン」という民族は、死んだ人に名前をつけることがありません。というか、そもそも呼ぶことすらしません。

死んだ人間のことを祀ったり、日本のようにお墓参りをしたり、法事をしたりということがありません。とにかく、死者についての話題は極力避けられるべきと考えられ、死者の名前を口に出すなどもってのほかです。

ちなみに、日本でいう葬式のような習慣があるのかというと、死者が残した品々はことごとく処分されるというのです。生前に愛用していた家具を燃やすなど、徹底して痕跡を消そうとします。さらに、もし可能であればその場所を離れようとします。

つまり、死者の名前は二度と呼ばれることがなく、遺品は全て燃やすなどで処分され、土葬した場所からは遠く離れていきます。

これは、何度も何度も法事や墓参りを繰り返しながら、死者を思い出し、祖先・先祖というもので家を維持しようという考え方の日本とは真逆です。

死者を忘れ、目を逸らし、捨て去っていく。それは、もしかしたら、徹底して「生」に目を向けようという彼らの生き方なのかもしれません。


今回の僕らの学習帳は、9月の本で遊ぶじかん2で扱った「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」からお話ししました。

こちらの本は、SUGOIで毎月開催している読書会「本で遊ぶじかん2」で扱ったものです。

誰もが参加できて、読書だけじゃなく、楽しい議論もできる読書会です。興味のある人は、ぜひこちらのnoteのマガジンをご覧ください。


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