
制約は人生の一部、それも心地よい一部 僕らの学習帳 vol.010
時間さえあれば、お金さえあれば、東京・海外・もしくは、地方に行けば、もっと仲間がいれば、機材があれば。
たらればを言えば、限りがないのは、クリエイティブの領域に限らずのことだと思います。しかし、クリエイティブの領域では、この「たられば」がかなり頻繁に語られている場所かもしれないです。
そして、このもしもっとあれば、つまり、制約さえなければ、もっと良いものができるのに、という考え方が、「制約」の迷信なのです。
実際には、制約とはクリエティブの敵ではなくて、仲間であり味方なのですが、そのように捉えられることはありません。
制約を仲間であるという理由、それは制約がないと、私たちは問題を把握できないからです。そして、問題を把握できないままだと、何をすべきなのかを見つけることすらできません。
たとえば、1枚のまっさらな紙を想像してみてください。この1枚の紙に、なんでもいいので自由に表現をしてください。
そう言われたらあなたはどう思いますか。少し緊張しないでしょうか。
その一方で、その1枚の紙の真ん中によくわからない曲線が一本描かれていて、そこになんでもいいので、描きたして下さい。
そう言われたら、どうでしょうか。
真っ白い紙よりは、もう少し手を動かすハードルが下がるのではないでしょうか。これは実際に創造性の測定としてよく使われるテストらしいのですが、後者の方が圧倒的に、みんな楽しそうに絵を描き始めるそうです。
余計な一本の線が描かれているにも関わらず、です。
これと同じように、人々は無意識に制約を好んでいます。そして、その制約を使うことで、自分の中にあるクリエイティブを発揮させているのです。
心理学のある調査では、長年にわたり、制約とクリエイティブとの関係を調べたものがあるのですが、その調査の結論としては、
芸術にしろ、広告にしろ、現代の革新的な傑作のほとんどは、制約が生み出した、というものだったのです。
僕らは、何かができそうにもないとき、難しいとき、苦しいとき、制約の迷信にとらわれてしまいます。
目の前にある制約を、目の敵にしてこいつのせいでできないんだと、自分を納得させてしまいます。
しかし、これを繰り返しているうちに、いつしか、僕らはクリエイティブに挑戦しない理由で、僕らの周りを埋め尽くしてしまっているのかもしれません。
だからこそ、いつもこう覚えておいて欲しいのです。
「制約は人生の一部、それも心地よい一部なのだ」と。
今回の僕らの学習帳は、「どうしてあの人はクリエイティブなのか?」の第10章「制約」の迷信から、お話しました。
今回の話について、もっと詳しいことを知りたい人は、動画・音声をぜひご覧ください。
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